<メッセージの紹介>
今回から4回のシリーズで、マタイ6章19節以降に記されてある「イエス様が与えてくださった警告」について学んでいきます(今回は、第1回目)。それまで、当時の律法学者やパリサイ人たちの間違いについて分かりやすく教えてくださっていましたが、6章後半でイエス様は、本当に救われた者たちが優先すべき事柄やあるべき生き方について教えてくださっています。

第1回目となる、この日は「私たちの宝がどこにあるか?」ということについて学びました。と言いますのは、「この宝の在りか」というのは、私たちの心が向いている方向を指し示してくれるだけでなく、私たちが本当に救われているのかどうかさえ、ある程度、明らかにしてくれるからです。だから、イエス様は、ここのみことばの21節で『あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』ということを教えてくださったのです。

果たして、あなたの心は今、真の神様であられるイエス様の方や天国の方を向いているでしょうか?それとも、この世のことだけでしょうか?もしも、あなたの関心が救われた後も、この地上のことばかりに傾いてしまっているのなら、ひょっとしたら、その人は今一度、自分自身の救いについて考え直した方が良いかも知れません。願わくは、このメッセージがあなたの救いの確信を増し加えてくれることを期待します。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。

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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
ポイント2と3は、次主日に学ぶ予定です。
0:00 導入&命題:イエス様からの警告、本当の心の状態について…
2:49 Ⅰ・正しい場所!=地上ではなく、天に向いているかどうか?(19-21節)
3:54 ・イエス様が禁じられた事柄=地上に、宝をたくわえること!
9:22 ・『地上』とは、どのような場所なのでしょうか?
16:38 ・天に宝を積むためには?
34:14 ・その原因(=問題点)
41:13 <励ましの言葉>
45:57 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):マタイの福音書6章19-34節
19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。