<メッセージの紹介>
様々な宗教で、「断食(だんじき)」という「一定期間、食事を断つ行為」がなされているようです。確かに、聖書の中にも、断食という行為が登場してきます。しかし、多くの人たちは断食を間違って理解してしまって、そのため、せっかくの断食が意味の無いものとなってしまっていたり、そのことでもって、神様からの祝福を失うきっかけになってしまっていることがあります。例えば、聖書の中に登場してくるパリサイ人たちがそうでした。

私たち人間は、最初は喜んでしていたことが、いつの間にか、知らず知らずの内に、単なる習慣になってしまっていたり、義務感からしてしまっていることがあります。果たして、そういった行為を神様が喜んでくださるでしょうか?今回のみことばは、そういったことについて教えてくれています。

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●聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書2章18-22節
18 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」
19 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。
20 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。
21 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
22 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」