<メッセージの紹介>
ここのみことばでは、安息日についてパリサイ人がイエス様に質問を投げかけています。そもそも、一体なぜ、神様は「安息日」などを定められたのでしょう?神様は、ただ、ユダヤ人たちが「何の仕事もしない」ために安息日を定められたのでしょうか?残念なことに、イエス様の時代、パリサイ人たちは何も分からず、安息日の戒めを守っていると勘違いをしておりました。しかし、彼らパリサイ人たちは、一番肝心な神様のみこころを分かってはおりませんでした。

現代の私たちも、知らず知らずの内に、当時のパリサイ人たちと同じような過ちに陥ってしまっているかも知れません。イエス様の語ってくださったアドバイス(真理)に耳を傾けましょう。

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●聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書2章23-28節
23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。
24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」
25 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家に入って、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
28 人の子は安息日にも主です。」