<メッセージの紹介>
ここのみことばも、”安息日に”片手のなえた者をいやされたイエス様に対して、パリサイ人たちが非難をしている様子を見ることができます。そういったこともあって、この日も、前週に続いて、「安息日の規定を与えられた神様の意図(=みこころ)」について考えてみました。

果たして、天の神様は、どのような意図をもって、安息日の戒めを与えられたのでしょう?本当に、神様は、「安息日には、どんないやしも…、どんな良い業もしてはならない!」ということを願っておられたのでしょうか?

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●聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書3章1-6節
1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。
2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。
4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。
5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。