<メッセージの紹介>
「山上の説教」の学びも、今回からマタイ6章に入ります。マタイ6章に入っても、イエス様は、当時の律法学者やパリサイ人たちへの攻撃(≒非難)の手を緩めてはおられません。ここで、イエス様は、当時の律法学者やパリサイ人たちのことを『偽善者』と呼んで、彼らの問題点を鋭く指摘しておられます。

それは、当時の律法学者やパリサイ人たちの関心や目的が、神様からの祝福ではなく、この世での称賛や自分が得をすることにばかり向いていたからです。私たちクリスチャンも考えないといけないことは、「ひょっとしたら、私たちも、自分の損得や、この世での称賛、人からの感謝やねぎらいの言葉などを期待して、それらが無いと不機嫌になってしまわないか?」ということです。

実は、そういったようなことは、キリスト教会の中でも、起こり得るのではないかと思います。教会での奉仕が間違った方向に走ってしまわないために、また、クリスチャンの皆さんが霊的に成長していけるように、もし宜しければ、このメッセージを聞いてみてください。

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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:善行に関するイエス様の教えとは?(=施しについて)
3:45 Ⅰ・当時のパリサイ人たちの行ない(1-2節)
4:38 ●当時のパリサイ人たちに対する、イエス様の評価とは?
10:47 ●当時のパリサイ人たちの問題点
20:04 Ⅱ・イエス様の勧めとは?(3-4節)
22:04 ●一見すると、矛盾している?
26:07 Ⅲ・私たちに対する警告とは?(1節)
26:41 ●私たちが注意すべきこと
33:25 ●真の神が、貴女に対して願っておられること
38:44 <励ましの言葉>
43:01 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):マタイの福音書6章1-4節
1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。