<メッセージの紹介>
少し前から「ピリピ人への手紙」の講解シリーズが始まりました。皆さんもご存知のように、ピリピ書は、投獄中であったパウロがピリピ(現ギリシヤ領)にあった教会に書き送った手紙で、教理的な内容は比較的少ない代わりに、「主にある喜び」や「主にある一致」などがテーマとして扱われています。

さて、この時、(恐らくはローマで)投獄中であったパウロは何を願い、どのようなことを喜んだでしょうか?普通なら、自分が解放されることや、神が助けてくれるようなことを願い求めるのではないでしょうか?しかし、パウロは、そのような中でも、神様への信頼を失うことなく、感謝をしていたのです!

一体なぜ、パウロは、そのような中にあって、「神様への信頼を失うことなく、感謝することができたのでしょうか?もし、私たちが、パウロの姿勢(≒信仰)から学ぶことができるなら、あなたも、「主にある喜び」を持つことができます!どうか、こういったことにご興味や関心があれば、このメッセージをご覧ください。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。

#八田西キリスト教会 #土井義広 #ピリピ人への手紙 #獄中書簡 #パウロ書簡 #喜び #感謝 #善をもって悪に打ち勝つ #クリスチャンの目的 #救いとなる #ソーテーリア #ソーゾー #子を産むことによって救われます #ほかの福音 #福音に反すること #別の福音 #スモークマシン #エンターテインメント性を高めることの危険性 #安易な賛美の危険性

<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:パウロは、何を目的に人生を歩んでいたでしょうか?
1:16 Ⅰ・福音の前進!(12-14節)
3:35 Ⅱ・自分自身の救い!(15-19節)
5:15 ●パウロの受けていた2種類の困難とは?
7:07 ●クリスチャンからの攻撃に対して、パウロはどのように受け止めたでしょうか?
8:39 ●異なった福音を語った者たちに対する態度との比較
17:27 ●『このことが私の救いとなる…』とは?
24:48 Ⅲ・キリストのすばらしさ!(20-21節)
25:47 ●パウロにとっての、究極の願いとは?
38:17 ●一部の教会の問題点とは?
42:00 <励ましの言葉>
46:44 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):ピリピ人への手紙1章12-21節
12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。
15 人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。
16 一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、
17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
19 というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。