<メッセージの紹介>
イエス様は「山上の説教」の中で、当時の律法学者やパリサイ人たちのことを『偽善者』と呼んで、厳しく批判しておられます。それは、彼らが体裁ばかりを取り繕って、一番肝心な心や動機をなおざりにしていたからです。
実は、現代に生きる私たちクリスチャンたちも、当時の律法学者やパリサイ人たちと同じような過ちに陥ってしまうことが有り得ます。確かに、私たちは毎週、主を礼拝し、献金を捧げ、たくさんの奉仕をしているかも知れません。しかし、神様は、私たちの善行だけでなく、それらをしている時の心の中(動機や意図)を隅々までご覧になっておられるのです。
当時の律法学者やパリサイ人たちは、神の目ではなく、人の目を意識して、人からの称賛を受けることを目的に、様々な善行をしておりました。さて、私たちは、人の目を意識することなく、ただ、神の目だけを意識して、なおかつ、純粋な動機でもって、様々な奉仕や捧げ物をしているでしょうか?もし、そういったことに関心があれば、このメッセージを聞いてみてください。
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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:善行に関するイエス様の教えとは?(間違った祈り)
2:26 Ⅰ・他人の目を意識した祈り!(5-6節)
3:46 ①間違った祈りの態度とは?
11:31 ②正しい祈りの態度とは?
27:26 Ⅱ・神に期待していない祈り!(7-8節)
28:33 ①間違った期待とは?
34:26 ②正しい期待とは?
45:10 <励ましの言葉>
47:00 メッセージ終了
●聖書個所(新改訳第三版):マタイの福音書6章5-8節
5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。