<メッセージの紹介>
この日(2023/9/16)は、八田西CCで「敬老のお祝い会」という伝道集会を開きました。この日は、集会(第一部)の後、ランチを皆で楽しみ、その後は、証しのための余興を中心とした集会(第二部)を持ちました。 正直言って、この日、スタッフのほとんどは、高齢者のケアとランチの用意で、いつものようなP.A.(音響&ページ送り)を担当してくれる、メッセージ中のサポートスタッフがおりませんでしたので、メッセンジャー自身が配信とP.A.を兼任しましたので、多少の不自然さはご容赦ください。(;^_^)

マタイ11章28節の『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』というみことばは、イエス様が呼びかけてくださった招きの言葉として、あまりに有名です。しかし、ほとんどの教会やメッセージでは、どうしたわけか、25-27節の部分は無視されています。

そこで、この日は、マタイ11章25節以降のみことばを、皆さんと一緒に学びました。ここで、イエス様は、どのような祈りを捧げ、また、どのような招きをされたでしょうか?そしてまた、イエス様の教えてくださった「あなたがたを休ませてあげます」とは、どのような意味でしょうか?

今、多くの教会では、ここのみことばから、まるで、救われた者たちが何の重荷も、責務も負わないで良いかのようなメッセージが語られていますが、本当に、イエス様は、そのような招きをされたでしょうか?ここで、イエス様がおっしゃられた、『わたしのくびきを負う』とか、『わたしの荷は軽いから』とは、どのような意味なのでしょう?どうか、このメッセージをお聞きください。

※この日のメッセージは、スタッフ不足とメッセンジャーの学び不足?の問題から、YouTube上では「限定公開」となっていますので、八田西CCHPのリンクなどからしかアクセスできません。

#八田西キリスト教会 #土井義広 #マタイの福音書 #招き #本物の平安 #救い #神の主権 #選び #救済論 #救拯論 #悔い改め #新生

<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:神が与えてくださる「本物の平安」とは?
3:55 Ⅰ・それは、神の主権の元になされる!(25-27節)
4:30 ・招きに関する神のみこころ
9:13 ・不思議なる、神様の「選び」
12:23 Ⅱ・それは、すべての人々が対象とされている!(28節)
13:13 ・神に招かれている者たちの特徴!
17:00 ・悔い改めの必要性!
19:40 Ⅲ・それは、決して、無変化の救いではない!(29-30節)
20:25 ・ここで、イエス様が教えておられること!
23:32 <励ましの言葉>
27:26 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):マタイの福音書11章25-30節
25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。
26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」