<メッセージの紹介>
この日は「2024年最後の主日礼拝」でしたので、いまいちど、「本物の信仰」ということについて考える時を持ちました。確かに、2024年は能登半島の大地震をはじめ、たくさんの事故・事件などがありました。それに加えて、日本経済の低迷、少子高齢化の問題など、不安材料のタネは幾つもあります。
そんな時だからこそ、私たちは自分自身の信仰を見つめ直す必要があるのではないでしょうか?と言いますのは、私たち人間にとって、一番大切なのは信仰であり、真の神様です。もしも、私たちが唯一の主権者であられ、全知全能なる神様を見上げて、その神様と共に残された人生を歩んでいくことができるなら、こんなに頼もしいことはありません!
しかし、聖書のみことばは、「私たちを救わない死んだ信仰」と「私たちを救ってくれる生きた信仰」とがある、ということを教えてくれています。ここヤコブ書のみことばは、そういったことについて教えてくれています。もしも、こういったことにご興味や関心があれば、このメッセージをご視聴ください。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。
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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:聖書が教える、「死んだ信仰」と「生きている信仰」とは?
2:30 Ⅰ・死んだ信仰の特徴とは?(14-20節)
4:20 ●変化をもたらさない!(14-17節)
17:15 ●救いをもたらさない!(18-20節)
32:17 Ⅱ・生きた信仰者の模範!(21-26節)
34:09 ●息子イサクを捧げたアブラハム!
40:20 ●使者たちを助けた遊女ラハブ!
45:17 <励ましの言葉>
49:34 メッセージ終了
●聖書個所(新改訳第三版):ヤコブの手紙2章14-26節
14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、
16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。
26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。