<メッセージの紹介>
この日と次主日とで、マタイ20章に記されてある「ぶどう園で働く労務者の例え」から学びます。多分、多くの人がご存知だと思います。早朝から働いた者も、昼から働いた者も、夕方5時から働いた者も、皆が一律に1デナリをご主人様から戴いたという、あのエピソードです。

そこで語られてあるエピソードは、現代の私たちからすると「理解不能」なように思えます。しかし、それは2000年前も同様でした。当時の者たちからしても、ここで語られてあるエピソードは「理解不能」であったのです。それはそのはずで、イエス様は、このエピソードを通して、労働に関する話をされたのではなくて、『天の御国』つまり、救いに関する話をされたのです。

私たちが、ここのエピソードを理解しにくいのは、多分、救いというものが「私たちの功績や(善行の)対価」であるかのような勘違いをしてしまっているからではないでしょうか?イエス様も、私たちの救いが、「私たち人間の功績や対価で得られるものではない」ということを分からせるために、敢えて、それと似たような状況を想定してお話ししてくださったのだろうと思います。もしも、こういったことにご興味や関心があれば、このメッセージをご視聴ください。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。

#八田西キリスト教会 #土井義広 #マタイの福音書 #救いの恵み #救いは神の御業 #救いは私たちの選択 #救いは私たちの責任 #年功序列 #耳のある者は聞きなさい #地上再臨 #千年王国 #私たちが受けるべき報酬 #私たちが受けるべき報い #わたしにふさわしい者 #神を愛するとは神の命令を守ること

<メッセージ動画の構成とタイムライン>
ポイント3は、次主日に学ぶ予定です。
0:00 導入&命題:「救いにおける神の恵み」とは、どのようなものなのでしょう?
3:03 Ⅰ・救いとは、神様からの一方的な恵みである!(1-9節)
5:10 ●労務者たちに与えられた約束!(=恵み)
18:06 ●真の神様の願いと、私たちの選択!(=責任)
26:08 Ⅱ・私たちが受けるものは、全く同じである!(10-16節)
27:56 ●「救い」とは、私たちが受けるべき「報酬」ではない!
38:08 ●しかし、救われた者たちは皆、神のために働こうとする!
44:34 <励ましの言葉>
45:40 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):マタイの福音書20章1-16節
1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』
8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
12 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」