<メッセージの紹介>
ここマルコ伝3章で、イエス様は『人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。』ということを教えてくださいました。

しかし、『聖霊をけがす』罪とは、具体的にどういったような罪でしょう?そのような罪を犯してしまったら、もう、その人は、信仰をもってしても救われ得ないのでしょうか?こういった理解は、私たちの永遠をも左右する問題かも知れません。どうぞ、ご一緒に、ここのみことばについて考えてみましょう。

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●聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書3章20-30節
20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。
21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。
22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。
26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。
28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている」と言っていたからである。