<メッセージの紹介>
この日は「イースター(復活祭)」でしたので、イエス・キリストの復活について学びました。そこで、この時には復活を始め、私たち人間の考える思惑とは違った、それ以上のことをなしてくださった神様の最善(みこころ)というテーマで、聖書のみことばを学びました。
皆さんも、いろいろな「思惑」をお持ちであると思います。でも、その考えていた「思惑」が外れてしまった後は、どんなお気持ちだったでしょう?多分、多くの場合は、自分の思惑が外れてしまったということで、あまり良い気持ちはしなかったでしょう。
しかし、私たちの思惑というようなものは、ただ単に、自分の願いが叶うことであったり、あるいは、所詮、「自分にとってのベター」にしか過ぎません。しかし、神のなしてくださることは、「すべての人にとってのベスト」なのではないでしょうか?もしも、こういったことにご興味があれば、このメッセージをご視聴ください。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。
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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:我々の思惑とキリストには、どのような違いがあったでしょう?
1:27 Ⅰ・人気よりも、宣教!(マルコ1章29-39節)
11:39 Ⅱ・地上での栄誉よりも、神のみこころ!(マルコ8章31-38節)
23:20 Ⅲ・裁きよりも、救い!(ルカ9章51-56節)
29:55 Ⅳ・十字架での死ではなく、復活!(ヨハネ20章19-29節)
37:32 <励ましの言葉>
40:01 メッセージ終了
◆聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書1章29-39節
29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。
30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。
31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
32 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。
33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。
34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。
35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
36 シモンとその仲間は、イエスを追って来て、
37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております」と言った。
38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。
◆聖書個所(新改訳第三版):マルコの福音書8章31-38節
31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
33 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
◆聖書個所(新改訳第三版):ルカの福音書9章51-56節
51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
52 ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に入り、イエスのために準備した。
53 しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
55 しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
56 そして一行は別の村に行った。
◆聖書個所(新改訳第三版):ヨハネの福音書20章19-29節
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」