<メッセージの紹介>
果たして、「私たちは価値があるから救われた」のでしょうか?確かに、現代は多くのキリスト教会がそう教える傾向にあります。しかし、聖書(特に、エペソ2:1-10)のみことばは、それとは全く正反対のことを教えてくれています。どうか、「私たちが何を信じたいか?」ではなく、「聖書のみことばが、どのように教えてくれているか?」ということに集中して、このメッセージを聴いてみてください。

※この時は、iPhoneを使って録画&配信をしたので、マイクの音量が小さいですが、どうかご容赦ください。

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●聖書個所(新改訳第三版):エペソ人への手紙2章1-10節
1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──
6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
7 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。