<メッセージの紹介>
この日は、年末最後の主日礼拝ということもあって、「悔い改め」というテーマについて考えてみました。聖書のテキストは、ルカ伝13章1-9節のみことばでした。果たして、聖書が教える「悔い改め」とは、どのようなものなのでしょう?それは、ただ単に、私たちの理解や考えが変わる”だけ”なのでしょうか?

それと、一部のクリスチャンたちは「悔い改めとは、イエス様を信じる時に必要であって、イエス様を信じる信仰で救われたクリスチャンたちには、もう悔い改めは必要ない…」と考えます。果たして、聖書のみことばは、そういったことについて、どのように教えてくれているでしょうか?ご一緒に、聖書のみことばを学んでみましょう!

#八田西キリスト教会 #土井義広 #ルカ伝 #ルカの福音書 #悔い改め #吃音

●聖書個所(新改訳第三版):ルカの福音書13章1-9節
1 ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」