<メッセージの紹介>
2024年4月から「ピリピ人への手紙」の講解シリーズが始まりました。皆さんもご存知のように、ピリピ書は、投獄中であったパウロがピリピ(現ギリシヤ領)にあった教会に書き送った手紙で、教理的な内容は比較的少ない代わりに、「主にある喜び」や「主にある一致」などがテーマとして扱われています。

さて、そのピリピ書の講解シリーズですが、3章に入ってからパウロは、クリスチャンが警戒すべきものについて教えてくれた後、かつて、自分の追い求めていたものが無駄であったという証し(=価値観の変化)について語ってくれた後、自分自身の心の中にあった思いを吐露してくれています。

現代、あの「ヤベツの祈り」の影響もあって、多くのクリスチャンたちが「神様、もっと私のことを祝福してください!」というようなことを祈り求める傾向にありますが、「病を癒してください」と祈ったパウロに神は、『わたしの恵みはあなたに十分である』と御答えになったのではないでしょうか?また、エペソ書1章のみことばは、『神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。』ということを教えてくれているのではないでしょうか?もしも、こういったことにご興味や関心があれば、このメッセージをご視聴ください。私たちは、聖書のみことばを説き明かすことで、皆様の霊的成長に貢献したいと願っています。

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<メッセージ動画の構成とタイムライン>
0:00 導入&命題:パウロが持っていた数々の思いとは、どのようなものだった?
2:52 Ⅰ・パウロが持っていた願い!(10-11節)
22:33 Ⅱ・パウロが抱えていた不満!(12節)
42:02 <励ましの言葉>
45:37 メッセージ終了

●聖書個所(新改訳第三版):ピリピ人への手紙3章10-16節
10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。